今回の東京行脚では、京都時代から昵懇のダンサー、辻本佳さんが同じタイミングで上京していたこともあり、旅程の後半は舞台作品を中心に観てまわっていた。ハンブルク・バレエ『シルヴィア』は、何といっても同バレエ団で50年ものあいだ芸術監督を務めたジョン・ノイマイヤーの、その時間の重みみたいなものに圧倒されます。東京芸術劇場のシアター・イーストでは、北村明子さんの『Echoes of Calling – rainbow after –』を。長期国際共同制作の舞台プロジェクトの最終回ということで集大成的な作品に仕上がっていたように感じましたが、白眉はやはりウズベキスタンの吟遊詩人「バフシ」による変幻自在の歌唱だったでしょうか。壁なき演劇センターの『Light on Tennessee Williams』(シアターΧ)は、テネシー・ウィリアムズの人生に、役者自身のエピソードを重ね合わせた虚実ないまぜの伝記的作品。昔から良くしていただいている山中透さんの音楽はいつになくロマンチックで、その曲名はテネシー・ウィリアムズの人生に大きく影を落としたロボトミー手術を想起させるものになっているそうで、正しい名前が付けられた作品というものは良いものですよね。山中さんのお誘いで打ち上げにも参加させていただく。ご相伴にあずかりがちな人生です。
チケットや観たい作品の関係から佳さんとは基本的に別行動でしたが、宿に戻って呑みながら舞台について「あーだこーだ」とやる時間は、毎度ながらとても楽しいのです。そんなことは随分と昔からやってきたのだけど、佳さんの作品作りに対して、そういうことをちゃんと仕事としてやってほしいと依頼されたのが、舞台作品に演出助手?のようなかたちで関わるようになった、そもそものきっかけでした。考えていることや感じていることを聴いて、そういうことならこんな考え方をしている思想家がいますよ、とか、別ジャンルの作家でこんな作品つくっている人がいますよ、みたいなことを話すだけならできるのかなと引き受けた次第。飲んで喋っているだけの演出助手だけど、お役に立てたなら光栄です。
そういう流れもあってか、件の山中さんが参加するコレクティブ「SC∀L∃R」のシリーズ作品『齢 instar』のお手伝いもすることになり、2022年はこれが自分のなかでは一つの大きな仕事でした。佳さんとは違って、主宰の小池陽子さんとの関係はまだ日も浅く、どうしても受け身の提案になってしまって探り探りという感じでしたが、作品のヒントのために古いチェスの棋譜を読んだり岡潔による数学の論文を読んだりするのは、まあ楽しかった。つまるところは読むのが好きなんだな。おそらくはSF好きの小池さん(ジャック・ヴァンスみたいな作品世界もSC∀L∃Rには合っている気がする)が、最近気になっているとオンラインでの打ち合わせで出してきたのが岡潔だったのだが、ことあるごとに「情緒」という言葉を用いて、「春の野に咲くスミレのような数学をしたい」という岡の数学者としてのセンスは、ひょっとするとSC∀L∃Rの感覚にも通じるところがあるのかもしれないな、と。論文自体は難解過ぎて僕には理解できませんが、あしからず。けだし数学という学問は、より普遍的な方法で世界を記述することを目指した結果、「1、2、3」という素朴に理解しやすい自然数だけでなく、負の数だったり、分数や少数、虚数(あの僕らを悩ますiの話です)、さらには岡自身も追究したイデアルなど、日常的な感覚とはほど遠い「数」をたくさん生み出してきました。「1+1=2」というようなあっけらかんとした日常的な理性からでは捉えきることの叶わない、あまりに複雑な世界を、それでもなお理解したいという強い意志が、岡潔の文章からは感じられるような気がします。
虚数のことは英語でimaginary number、つまり「想像上の数」というわけですが、本作について考えていて、蝶などの「成虫」のこともimagoやimaginal stageなどと呼ぶことを知って、何というかびっくりしたのを覚えています。作品タイトルの『齢 instar』は、小池さんがレベッカ・ソルニットの本から採ったものですが、たしか『迷うことについて』(左右社)だったと思うものの、今なぜか手元に見つからないのでネットで見つけた引用を。脱皮を繰り返して大きくなる幼虫の、それぞれの成長段階を意味するのが「齢」ですが、ソルニットはその言葉に、天上的で美しくありながら内向的で破滅的でもある「変化」というものを読み取っているのだと思います。現在の姿では満たされず、心の内で思い描いた美しい姿で世界を羽ばたくため、自らの身体をその輪郭さえも失わせるほどにドロドロぐちゃぐちゃに変貌させてしまう。そんなこと初めに思いついた人は、というか虫だけど、その狭くて暗い蛹の中で一体どんな気持ちだったでしょうねえ。そりゃ羽ばたく権利があるってもんですよ。
最近親しくなった友人に、星野文月さんというきれいな名前の、それに劣らずきれいな言葉を書くライターがいて、昨年末に出版された彼女の作品『プールの底から月を見る』(株式会社SW)は、東京から松本に移住したあとの、その日々での心の移り変わりなどを綴ったウェブ上での連載をまとめたものです。そのうちの1つをつらつらと読んでいて、それは長いあいだ抱えていたであろう心中の得も言われぬわだかまりがふいに融けていくようなものだったと思うのですが、読んだあとに何気なくタイトルを見返してみたら「羽化するときは、ひとり」となっていて、上記のようなことを考えていた僕なども「そうだよねえ、そうだよねえ」と思わずうなってしまったものです。