生活綴られ方練習

頭足類のしゃぶしゃぶ

ホタルイカが食べたくなったので、今週は北陸へ。ホタルイカ自体は若い頃から好きでしたが、最近は頭足類全般に滅法ハマっており、居酒屋でも「頭足類頼んでいい?」と言っては同席者に戸惑われたりしています。頭足類に強い関心を持つきっかけになったのは、アメリカのサイエンスライター、ダナ・スターフさんという人の『イカ4億年の生存戦略』(エクスナレッジ、2018年)だったりするのですが、その話はまたいずれ。何はともあれホタルイカと、春の北陸へ向かうのですが、考えれば昨年も同じような時期に北陸へ行っていたようで、ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね。

初日は、毎度毎度「使いづらくなった」と言いながらも性懲りもなく使っている青春18きっぷの最終日。1回分だけ余らせていたので、松本駅から金沢駅まで1日で向かうという、北陸の在来線が軒並み第3セクター化した現在では正気の沙汰とは思えない所業に。途中リモート会議のために降りた駅を含め、松本→塩尻→中津川→多治見→美濃太田→岐阜→米原→長浜→敦賀→福井→金沢といった具合で、7時50分松本発に乗って金沢着は20時36分だったかな、多治見から美濃太田へと太多線に乗っているのは、混雑しそうな名古屋方面を避けたため。ローカル線に揺られながら本を片手に(もう片手には酒!)車窓を眺めたり、乗客の言葉に耳を傾けたりするのはとても好もしく、しんどい行程だと分かってはいても、ついついやってしまう。よせばいいのに。夜の金沢で京都の友人と待ち合わせ、飲み歩くも何故かあまり開いているお店がなく、缶酎ハイ片手に散歩するという感じに。花散る春を惜しむか、柳がすすりなく夜の金沢、これはこれで風情があるかと前向き思考。

2日目は起きてこない友人を待ちがてら、近江町市場でガスエビとバイガイと生ビールの朝食。久しぶりに訪れた市場の、あまりの観光地化っぷりに驚愕し、金沢をよく知る友人に報告(朝食と報告で脚韻を踏みたかったわけでは決してない)。街には謎の裸婦彫刻、反している公序良俗、僕の頭脳は耄碌。もうやめます。友人は先だって亡くなったお父様の縁ある地を巡ると言っていたので、酔っ払っていた前日の僕などは「同行する!」とのたまっていたのだが、朝になって考え直せば、そんなん一人で色々な感情に浸りたいに決まっているなと改心、こうやってすぐ人と自分の境界線を見失ってしまうのは悪い癖だ。まあせめて途中までは、と富山県出身の彼女とともにあいの風とやま鉄道にいそいそと乗り込む。僕は福岡駅(高岡市)で途中下車し、川島小鳥さんの個展『たくさんの今たち』(ミュゼふくおかカメラ館)へ。小鳥さんについては、あまりちゃんと観たことがあるわけではないが、キャッチーな人物写真よりも日々の生活から漏れ落ちてしまうようなささやかな風景写真を中心にした『おはようもしもしあいしてる』シリーズがすこぶる好感。ミュゼふくおかカメラ館の常設展示も、初期のカメラ技術についての解説展示などあり、カジャ・シルヴァーマン『アナロジーの奇跡――写真の歴史』(月曜社、2022年)を、最近とても面白く読んでいた僕にとっても興味深いものでした。美術館の少し手前にあった、シブい外見に誘われて入った蕎麦屋「むかわ」も、意外と新しそうな内装ながらメニュー構成から誠実な印象を受け非常に満足。ざると蕎麦焼酎だけで済ますつもりが、蕎麦前として出てきた焼き味噌(たぶん大葉が入っていた)が美味しく、また天ぷらにこの時期は山菜、それも好物のこしあぶらが入っているのを目ざとく見留めてしまったこともあり、野菜天と蕎麦焼酎をもう一杯追加。ごちそうさまでした。

夕方には高岡駅へ移動し、高岡市美術館に立ち寄る。ウィリアム・モリスについての展示。美術館のある通りで偶然、件の友人を見かけて合流する。出身高校の高岡高校が美術館のすぐ近くにあったそうな。夜は石動駅(小矢部市)に移動して、共通の友人というか、彼女の高岡高校時代の同窓生と夕食をとる。今や二児の母であるその人の子供たちからは、何故か「妖精さん」と呼ばれていて、すごく良い子たちの彼らの成長ははたで見ていて勝手に温かな気持ちになっている。すくすく育てよ。昨年などは、たまたま彼らのピアノの発表会の日程に居合わせてしまい僕までスタインウェイを聴かせていただいたのでした。親戚か。

3日目は朝から雨。最終日の金沢はいつも雨が降っている気がする。春雨じゃ濡れてまいろうという降水量でもないので、ひとまず金沢21世紀美術館へ避難。コレクション展は『それは知っている:形が精神になるとき』。相も変わらず、引きも切らずレアンドロ・エルリッヒの『スイミング・プール』や、SANAAの『ラビットチェア』が「映え」人気。ピピロッティ・リスト好きの僕はといえば、まずトイレで『あなたは自分を再生する』を。いつ来てもちゃんと嬉しくなるからすごい。雨が上がった後は新竪町商店街を散歩がてらオヨヨ書林をひやかしに。ひやかすつもりが宗左近の詩集や、杉浦康平デザイン時代の講談社現代新書、金沢の小冊子『そらあるき』のコロナ禍臨時号などを買ってしまう。21世紀美術館に戻って、ジェームズ・タレル『ブルー・プラネット・スカイ』でしばらくまったり。ピーカンの晴天もいいけど、雨上がりのもったりとはしているんだけど、どこか清々しい曇天も悪くないなと思いながらしばし休息。

兼六園で友人と合流し、夜を始めるべく香林坊の方へと向かう。初めて金沢に来たときに訪れてゾッコン惚れ込んでしまった純喫茶ローレンスは今日も開いていない。美大を出たらしい店主の、「家業を継いだだけで、本当は喫茶店なんてやりたくない」「でも作家の五木寛之先生が執筆に使っていた席があって、そのファンが来たいから続けなくちゃいけない」「できないメニューはどんどん減らしているけど、喫茶店としてコーヒーと紅茶だけはやめちゃいけない」という態度が、なんだかとても人間らしくてびっくりしたのを覚えている。ローレンスに振られたものだから、もう早々と今旅のメインディッシュ、酒と人情料理「いたる」へ。ずっとおあずけだったホタルイカを解禁します。いたるに初めて来たのは2012年、長すぎた学部生を卒業した春でした。厨房で働く職人さんたちの姿がとても気持ちのいい、思い出も深いお店です。

ここで友人と僕が所属していた映画サークルの後輩にあたり、1年ほど前に金沢に移住した友人も合流。卒業後ちゃんと話すのは初めての僕は、なんだか緊張してしまったが、宿痾の人見知りはそこまで出なかったように思う。文章を書くことを生業にしている彼女に対しては、人見知りよりも話したい気持ちの方が勝ってしまったのかも。「この人に頼らないといけない今の日本の人文知の状況が最悪」とか、「あの人はおじさんになってちゃんと負わなくちゃいけない役割を引き受けた」とか、「文化人はもっと人々が嫉妬や嫌悪から行動していることを理解しなくちゃいけない」とか、学生に戻ったみたいな話をたくさん聴いているうちに金沢の空はすっかり白んでいた。自分よりも少し若い人が、しっかりと社会に対してまっとうな怒りをぶつけていて、何というか勇気が出る思いでした。早朝の北陸新幹線、そして長野から特急で松本に戻るとまだまだ午前中で、ふらふらの足取りで家路を行きながら、松本から金沢は18きっぷで行くものではないなと改めて思いました。呑み過ぎて、いたるのホタルイカしゃぶしゃぶの記憶が薄れているのが何よりも悔しい。また来ん春。

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