明日からまた旅路に就くので、昨日は市議会議員選挙の期日前投票に行ってまいりました。政治のことはあまり詳しくないのだけれど、ソ連を追放されたヨシフ・ブロツキーがノーベル文学賞を受賞したときの講演をまとめた『私人』(群像社、1996年)という本があって、そのなかでブロツキーが言っている「候補者の政治綱領ではなく読書体験を選択の基準にしたならば、この地上の不幸はもっと少なくなることでしょう」という言葉については、わりと素直に同意している。ブロツキーの言うことにゃ、ディケンズを読みふけった人にとって「いかなる理想のためであれ自分と同じ人間を撃ち殺すことは、ディケンズを読んだことのない者にとってよりも難しいだろう」だと。シビれますね。
じゃあ本邦において本を読む政治家というのはどなたかしら、という話になるわけですが、今の政治家の顔ぶれを思い浮かべるも、どうもちょっと頼りない気持ちになってきてしまいます。昔ラジオで池上彰氏か誰かが言っていたんだと思うけど、その点、大平正芳は大変な読書家だったらしいです。「あー、うー」と歯切れの悪い話し方で、「讃岐の鈍牛」と称された彼については僕が生まれる前の人なので映像でしか見たことがありませんが、もちろんその評価には是非があるのでしょうけど、発言内容などからは確かに深く考えることを厭わない人なのだなという印象を受けます。55年体制以降の自民党の良心たる宏池会らしい、リベラルな保守本流の政治家を代表する人物といえるかもしれません。先代や先々代よりはなんぼかマシかと思えた今の首相も宏池会、かつての威容は見る影もありませんね。
大平正芳のことは、かの辻井喬が伝記『茜色の空』(文藝春秋、2010年)を物していて、僕などもそれを読んでこの政治家に関心を持った次第です。地方に親から受け継いだ地盤があるといっても生まれも育ちも東京の一等地、みたいな2世3世議員ばかりの今から考えると、香川県の海沿いの街で育った大平の日本の未来を思う真っ直ぐさには、まあもちろん文芸作品とはいえ、心を打たれるものがあります。辻井喬こと堤清二は、西武百貨店の実業家として大平とも親交があったようで、ことによると政治や経済よりは文学についての方が両人は話に花を咲かせていたのかもしれないなと思ったりします。
堤清二の西武というかセゾンの文化には、ギリギリ間に合わなかった世代(東京育ちだったら間に合ったのか?)ということもあり、憧れに似た気持ちがあります。企業メセナの活動としては『セゾン文化財団の挑戦』(書籍工房早山、2016年)という、まさに財団の立ち上げから関わっていた片山正夫という人の本に詳しいですが、当時の消費文化としてのセゾンカルチャーの空気は永江朗氏の『セゾン文化は何を夢みた』(朝日新聞出版、2010年)が、瑞々しく当時の状況を伝えています。アールヴィヴァンだのWAVEだのポエム・パロールだの、羨望です。とはいえ何をさておいても重要なのが書店のリブロなわけですけど、いま手元に本がないのでうろ覚えですが、池袋のリブロでまだ日本では知られていない南米のマジックリアリズム特集をした際に、海外から取り寄せた作家の写真がバラバラになってしまい、誰が誰の写真か分からなくなったときに、唯一「分かる奴がいるぞ」と連れてこられたのが荒俣宏大先生だったとかなんとか。博覧強記にも程がある。ところで荒俣先生、大学卒業後しばらくは日魯漁業(今のマルハニチロ)でプログラマとして勤務しているのですが、幼少期の夜逃げ生活を送っていた折に魚の缶詰をよく食べていたことが志望動機だったらしいです。