生活綴られ方練習

激辛

取材ずくめの関東出張で、昼食にカメラマンと一緒に食べたカレーが、辛めを選んだのにまったく辛くなくて悲しい。その反動なのか、激辛料理を食べたくなり、松本で韓国料理をUber Eatsする。「Uber Eatsする」という動詞はもう一般的なのかしら。激辛を選択できたピビン麺は、本当にちゃんと辛くて偉い。「ピビン麺」「ピビンパ」の「ピビン」は「混ぜる」という意味だそうだが、韓国語における濁音の扱いというのがよく分からない。語頭に来る濁音は濁らない、というような話を聞いたことがあるけれど、そんな単純な話でもなさそうだ。語頭で発音される「ピ」とその次に来る「ビ」は、ネイティブ話者にとっては同じ音だと認識されているのかもしれない。日本人が「L」「R」や「B」「V」の違いをあまり認識できないように。だから「ビビンバ」や「ダッカルビ」といった表記も、ネイティブの発音からは少し遠ざかるような気もするけど間違いというのとも違うのでしょう。

激辛を無性に欲しがる癖がいつの頃からのことだったかは覚えていませんが、東ハトがスナック菓子『暴君ハバネロ』を発表した2003年、高校生だった僕も発売日に買いに走った時のことは今も記憶に残っています。当時、世界一辛いトウガラシといわれていた「ハバネロ」と、ローマ帝国の第5代皇帝の暴君ネロをかけたネーミングの商品に、経営破綻からの再起をもかけた東ハトの目論見は見事に当たり、激辛ブームの再燃を引き起こす大ヒット商品となったようです。「ハバネロ」の名はキューバの首都ハバナからですが、なのでビゼーのオペラ「カルメン」にあるアリア「ハバネラ」と名前が似ているのは偶然などではまったくなく、単純に同語源なのでした。ちなみに、暴君の方の「ネロ」はというと、サビニ人の言葉で「勇敢な男」を意味するらしいです。サビニ人については、白水社の文庫クセジュ「古代ローマの日常生活」(ピエール・グリマル、北野徹訳、2005年)に「パラティヌス丘の麓に集まった部族としては、まずラテン人(古くからの牧人層)、次にエトルリア人(通常、職人)、そのほか、サビニ人(ローマ社会の農民層、とくに「耕作民」)がいた」と書かれていて、イメージ的にもそのような気がする。

サビニというと、たくさんの極端な姿勢や裸体を表現できることからルネサンス期からバロック期でもよくモチーフに選ばれる「サビニの女たちの略奪」というエピソードがあって、フィレンツェでもジャンボローニャの作品がたくさん見られるけれど、古代ローマというのは、あるいは人類社会というのはつくづく野蛮な世界である。フィレンツェでもローマでも街を歩いていると、アスファルトの道路に小さな四角の真鍮プレートが埋められているのをしばしば目にするのだけれど、ぱらぱらと読んでいる『ポスト・ヨーロッパ』(スラヴェンカ・ドラクリッチ、栃井裕美訳、2023年、人文書院)に、この「躓(つまず)きの石」を巡るエッセーが掲載されていた。ドイツの芸術家、グンター・デムニヒによるプロジェクト「躓きの石」は、ホロコーストの犠牲者となったユダヤ人や同性愛者たちの氏名、生年月日、強制移送された日、死亡日を記した真鍮板を道路に埋めるというもの。その真鍮板が、2018年に何者か――おそらくは反ユダヤ主義者や歴史修正主義者によって次々と取り除かれるという出来事があったらしい。

野蛮な人類であることを恥じる僕らは、同時にとても忘れっぽい生き物でもあって、過去の蛮行によって失われた人の名前を真鍮板に刻み込んでは、せめて忘れないようにと努めたのでしょう。その記憶が同じ人類によって略奪されるということの恐ろしさを一体どう考えればよいのだろう。「勇敢」なガチョウ足で歩みを進めるよりかは、足元の愚行につまづき続ける方がなんぼかマシやでと切に思っています。

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