松本に帰ってきて、柳沢耕吉さんのライブがあるので23日はGive me little more.へ。柳沢さんが定期的に主催しているフリーセッションイベント『session organized by seldom』や、音を使った謎のビンゴ大会『PARTY』、ライブ当日には姿を現さないというメンバーとのユニット「コモド大真面目」など、彼のライブは毎回面白いので、そういえば見たことのなかったソロライブも楽しみにしていた。実際この日は、ベルリンの「Echo Chamber」も松本の「CLONE」も含め、3組ともかなり好みのパフォーマンスで、充実した心持ちで夜を過ごす。京都でも東京でも素晴らしいライブを観たところだったけれど、松本の音楽シーンも負けず劣らずユニークで、これだから松本暮らしはやめられない。
音楽をはじめとした文化が豊かである点以外にも、街のどこからでも見渡せる山並みが美しいとか、からっとした空気が心地よいだとか、いたることろにある湧き水が美味しいとか、松本の良いところはたくさんあるのだが、この街が全国にもっと誇って良いと思うものの一つに旭町中学校桐分校の存在がある。全国で唯一の、刑務所の中にある公立中学校で、世界的にも例は少ないらしい。桐分校のこと自体は、松本に越してきてすぐの頃に友人に教えてもらい知っていたが、いつもの丸善を徘徊しているときに郷土史に関する本を集めた棚で『刑務所の中の中学校』(角谷敏夫、2010年、しなのき書房)を見つけて購入。様々な理由により義務教育を修了できなかった全国の受刑者が学びに来る本校、今年は女性ばかり入学したというニュースをラジオで耳にしたが、この本の執筆時には男性のみの受け入れだったようだ。読み書きや計算に不慣れであることが、出所後の生活に悪影響を及ぼすことは容易に想像がつく。石井光太さんの『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(2022年、文藝春秋)を衝撃とともに読んだり、ルシア・ベルリンの『掃除婦のための手引き書』(岸本佐知子訳、2019年、講談社)所収の『さあ土曜日だ』に強く心を打たれたりした身としても興味深い。
人生や社会について、より深い考察を巡らせるのに言葉は欠かすことのできない道具で、ある意味でその最先端を切り拓くのが文芸の役目だと信じている。いつからか日本の文芸シーンにおいてはそういうものがマイナーになっているように感じてしまい、あまり積極的には読んでこなかったのだが、ここ最近は文芸というのか物語に頼りたい気持ちがあり、星野智幸さんの『ひとでなし』(2024年、文藝春秋)を買ってみる。熱心に読まなくなってしまった現代日本小説ではありますが、活動をこそこそと追っている数少ない作家です。
せっかくだから言葉というものにもう少し違うアプローチから近づきたい、より正確にいえばもう少し軽やかな気持ちで読めるものも手元に置いておこうと、『箸とチョッカラク』(任栄哲・井出里咲子、2014年、大修館書店)、『なっとくする数学記号 π、e、iから偏微分まで』(黒木哲徳、2021年、講談社ブルーバックス)などもあわせて。前者は、こんなにも近い国なのに韓国語を全然知らないことを何とかできればと、後者は、科学の世界の言葉もおさらいしておきたく。世間一般で思われているよりも数学は言語の学問だと思っているので、イタリアの数学者ジュゼッペ・ペアノが、円滑なコミュニケーションのために人工言語、いわゆる「屈折のないラテン語」を考案したというアネクドートが好きだ。
『刑務所の中の中学校』のささっていた棚の近くでは、もはや恒例といって差し支えないだろう白水社と東京大学出版会、みすず書房の合同企画「レビュー合戦」が展開されていた。そのなかから『神の亡霊』(小坂井敏晶、2018年、東京大学出版会)をピックアップ。恥ずかしながら著者についても知らないくらい不案内な社会心理学という分野ながら、東京大学出版会のPR誌『UP』連載時にはなかった注釈に着目しているレビュアーの読み方に賛意を、との思いで手に取る。難解そうだが、この齢になってもまだまだ勉強できるということがただただありがたい。かの美輪様がミッチロリン星の王子様に向けて言ったという「お勉強はやめちゃだめよ」という言葉を勝手に胸に刻んでいる。