生活綴られ方練習

hope

松本のGive me little more.(ギブミー)に3日連続で通うことに。ただただ飲みに行った初日に教えてもらった翌日と翌々日のイベントが面白そうだったから。翌日のイベントは柳沢耕吉さんというギタリストが企画しているフリーセッションイベント『session organized by seldom』。さらにその翌日は早尾貴紀さんによる『パレスチナ/イスラエル問題「分からない」から1歩進むために』という講義のアーカイブ映像を上映するとのことで、早尾さんについては、もう7,8年ほど前に『ユダヤとイスラエルのあいだ―民族/国民のアポリア』(2008年、青土社、2023年に新装版)を読んでいて、ハンナ・アーレントやマルティン・ブーバーなどのユダヤ系思想家やエドワード・サイードを引きながら、ユダヤ教とシオニズム、イスラエルという国家といった、重なるけれども同じではない概念を解きほぐすような内容で面白く読んだ覚えがある。

柳沢耕吉さんのライブは音楽にあまり造詣のない僕でも毎度面白いので、セッションもどんな感じなのか観てみたいと思って行ったら、配られたハンドアウトがとてもピースフルで良い。即興セッションのアイデアとして手書きされているのを抜き出すと「演奏を止めても良い→わからなくなったら止めて様子を伺うのもアリ」「「ミスしたな」と思ったことを繰り返す→反復の魔力に身を委ねる」といった具合。「「他の人の音を聴く」気持ちを忘れずにgoです」。これは音楽に限らないセッションの姿勢だと思う。

早尾貴紀さんの講義映像というのは、環境活動団体GREEN TEAのオンラインミーティングで発表されたものだそうで、この日ギブミーの近所にあるゲストハウス東家では座談会『村田さんと一緒にガザについて考える』が開催され、ギブミーでの上映を含む『村田さんと話す会 〜1歩近づくパレスチナ問題〜』と合わせて、松本駅前で行われたガザ停戦を訴える「本読みデモ」の主催メンバーたちが企画したものでした。村田さんというのは、パレスチナに長く携わっているジャーナリストの村田信一さんのことで、松本にも縁がある人のようだ。

座談会や上映会には、前日のセッションに加わっていた人たちもちらほら交じっていて、こうやって音楽のことも社会のことも一緒に考えることのできる人たちがいて、できる場所があるというのは、松本の本当に好きなところ。決して単一のコミュニティではなく、むしろコミュニティが違う人同士だからこそ、丁寧で粘り強い協働が求められるような。それをデモクラシーと呼んでもコレクティフと呼んでも良いのだけれど「「他の人の音を聴く」気持ちを忘れずにgoです」が案外近い気持ちかもしれない。今回のためにきっととても勉強して、こんな場を設けてくれた「本読みデモ」の人たちには本当に頭が下がる思いです。

「キッシンジャーも亡くなったことだし」と、積んでいた『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』(春名幹男、2020年、角川書店)を最近読み始めたのだけれど、ベトナム戦争の沈静化にともない米軍からの戦闘機受注が急激に減ったロッキード社が経営不振に陥り収賄事件へと繋がるというようなことが書いてあって空恐ろしくなる。戦争がなくなると儲からなくて困るという企業の存在をどのように考えればよいのだろう。戦争を望んでいる人々がいるという紛れもない事実。座談会の場で「パレスチナでの戦闘が終わった後にはどうなるか」という話がされている間、パレスチナやイスラエルの未来よりも、これらの兵器や軍人は次にどの地域に行くのか、地球上のどのエリアをこの軍産複合体は営業先と見なすのかといった不穏なことばかりが頭をよぎっていた。

榎本空さんが翻訳をしている『母を失うこと――大西洋奴隷航路をたどる旅』(サイディヤ・ハートマン、2023年、晶文社)をパラパラとめくっていて、公民権運動家W・E・B・デュボイスによる"a hope not hopeless but unhopeful"という言葉が引かれているのが目に留まる。絶望的ではないけれど、ほとんど望むべくもない希望。それでも、そんなかすかな希望というものだけは忘れることなしにやっていくしかないのだろう。ふたご座流星群が極大を迎える日、松本の空は曇っていて流れ星が見えない。この期に及んで星に願いをかけてる場合じゃないのよ。

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