生活綴られ方練習

勉強はすればするほど不足が出る

「勉強はしても余りということがない。勉強はすればするほど不足が出る」。かぎかっこで始めるのは作文あるあると小耳に挟んだので早速やってみたわけですが、これは沖縄県の伊江島で反戦平和運動に長年携わってきた89歳女性の言葉です。幸いにして貴重なお話を聞く機会に恵まれ、30分ほどの短い時間ではあったけど、冒頭の言葉を3回もおっしゃっていたのが強く印象に残る。90年近く生きてなお勉強が足らないというのだから。

太平洋戦争の終盤において、島民の半分が命を落とすという激しい戦禍に見舞われた伊江島は、今も島の面積の4割近くが米軍基地となっている。米軍の演習や砲弾の暴発などによって、戦後でさえもたびたび多くの命が奪われてきた島に「命は宝」という意味のウチナーグチから名付けられた「ヌチドゥタカラの家」という資料館がある。阿波根昌鴻という反戦運動家が中心となって設立したもので、先の女性は既に亡くなった阿波根さんとともに活動してきた方です。資料館は凄まじい情報量で、時間が、勉強が圧倒的に足りない。またいつか再訪できると良い。

こんなにも悲惨な目にあった伊江島のことがあまり話題にされないのはなぜだろうと思う。以前にも触れた『それで君の声はどこにあるんだ』の著者、榎本空さんは幼少期を伊江島で過ごしており、僕なども彼の文章でようやくこの島の歴史に関心を持ったクチです。2011年の東日本大震災以降の10年ほどを東北に住んで執筆や創作活動を続けてきた瀬尾夏美さんと、榎本さんとのトークイベントが那覇で行われることを知って、これは万難を排して馳せ参じなければと、2泊3日の沖縄旅行を敢行したのでした。瀬尾さんについても2011年当時から興味深く追ってきたので、いつかどこかで何がしかのことを書けるかしらと考えている。

瀬尾さんも榎本さんも、非当事者として書くということを意識的に引き受けている点が共通していて、そこに強い尊敬の念を抱く。昨今はフィクションにおいてさえ「当事者性」というものが異様にもてはやされていて、少し危なっかしさを感じていたりもする。言葉を奪われてきた人たちが声を上げられるようになったことは素晴らしい反面、「当事者性」のみをことさらに強調することは、それ以外の属性も当然持っている語り手を「当事者」としてのみ消費することや、どうせ本当に分かることはできないのだからという非当事者による理解に対する諦め、より強い「当事者性」を持つ人との比較による問題の矮小化、などなど様々な問題をはらんでいないか。当事者による語りを(あり得ない)透明な観察者として記録するのではなく、非当事者としてどう感じ考え想像したかという言葉にしかできない仕事を自分のなすべきこととして引き受けているお二人をまぶしく感じながら、会場の参加者も交え和やかに進行する対話に耳を傾けていた。イベントを企画してくれた「生きのびるブックス」さんにも感謝したい。

松本の家を出たときには氷点下だったのに、沖縄では最低気温でも18度だったりして服装と自律神経が混乱する。久しぶりに訪れた那覇では「せんべろ」と「ポーたま」が大流行していて、一生分のポークランチョンミートを食べながら、『めんそーれ!化学』で紹介されていたコンビーフ缶のエピソードを思い出したりした。沖縄についてもっと勉強するために、何はなくともやはり本が必要だと、第一牧志公設市場の近くにある古本屋ウララさんにて、琉球弧の自立・独立論争誌『うるまネシア』のバックナンバーと、1990年代生まれの人たちが沖縄について考えたZINE『あなたの沖縄』を購入する。勉強はすればするほど不足が出ますからね。

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