土曜日はまたしても日帰りで東京。といっても、目的地が東京駅直結のビルで半日がかりの仕事だったから、本当に東京の街にはまったく出ずだった。しかし、行きの特急あずさは30分以上前に駅に着いたのに券売機では残り2席、帰りは終電のグリーン車が1席空いていただけ、バスもほぼ満席という感じで、これがオーバーツーリズムなのか、円安の影響なのか、はたまた単純にインフラが足りていないのか。宿代もどんどん高くなっているし、ふと思い立って旅に出る、というようなことがしづらくなってきていることをひしひしと感じてしまい、憂鬱な気分になる。そう、実際に出かけるかどうかはさておいても、いつでもどこにでも行けるぞという気持ちでいられることが大事なんだと思う。
日曜日は、松本で出会った大学の同級生という不思議な関係の藤原佳奈さんらによるプロジェクト『偶戯を巡る』のトークイベントへ。主に東北地方に伝わる「オシラサマ」信仰についてのリサーチ報告会といった内容。遠野物語の影響もあってか、オシラサマというとお蚕さんとの関係がまず思い浮かぶけれど、どうやらオシラサマ信仰の中心的なトピックではなさそうだ。馬娘婚姻譚が先にあって、馬のような姿態を見せる蚕に後世になって関連付けられたのかもしれない。昔読んだ絵本の『おしらさま』にもトークイベントでは触れられていて、その絵を描いているのが丸木俊だったことに今さらになって気づく。オシラサマは仏教に入ると歓喜天に同化したという話もあったが、ガネーシャに由来する歓喜天とオシラサマの共通点があまり見えない。歓喜天は男女一対の双身像として表されることも多いので、そこからの連想だろうか。エロティックなイメージも少なからずあるかもしれない。ガネーシャというと、ヴァーハナ(乗り物)にお蚕様の天敵たるネズミを使うので、養蚕起源譚としてのオシラサマは、ここにきていよいよ分が悪い。いずれにせよ、資料がなければこそ想像力で補うしかなく、思考を巡らせることが楽しい。しかし資料がほとんどないだろうなかのリサーチで、インフォーマントになりそうな人が養蜂家らしいという情報をたよりに地域で売られている蜂蜜の瓶を一つ一つ虱潰しにして連絡先を見つけたという2人の行動力に頭が下がる。東北の民俗学と聞くと、新資料を見つけるなんておよそ望むべくもなさそうに素人考えで思ってしまう分野だけれど、彼女たちの話を聞いていて、新しい発見が存外あるのかもしれないと思ったのは、きっと『アイスランド 海の女の人類学』(マーガレット・ウィルソン、向井和美訳、2022年、青土社)を今ちょうど読んでいるところだったから。かつてはアイスランドに何人もいた女性の船乗りや漁師の存在が、あっけなく忘れ去られてしまっていた事実にも驚かされるし、彼女たちの海を巡るエピソードも面白い。ことほどさように、女性たちの歴史というものは、意図的にではなくとも隠蔽されやすい現実があるのでしょう。オシラサマ信仰も、その祭祀は女性によって担われてきたものだそうなので、男性研究者には見落とされてきた何がしかがあるかもしれない。
『偶戯を巡る』は2026年2月に、世田谷美術館での展示やパフォーマンス上演として成果が発表されるようなので楽しみに待ちたい。