生活綴られ方練習

転がっている物たち

この週末はなんだか音楽づいていて、それもいわゆるレジェンド級の演奏を聴きに東へ西へ大わらわ。21日(金)は東京オペラシティでコリン・カリー・グループ『ライヒ《18人の音楽家のための音楽》』を、23日(日)は京都の金剛能楽堂でサリフ・ケイタのトリオとルーカス・サンタナのソロを。音楽のことがあまり分からない僕でも、凄いものを聴いてしまった、という2公演で心の置きどころがまだ分かっていない。音楽について、誰か教えてください。

ユダヤ系のルーツを持つスティーヴ・ライヒが、ホロコースト生存者の証言を録音した音声を用いた『ディファレント・トレインズ』が素晴らし過ぎるのは知っていたけれど、今回演奏されていた『トラベラーズ・プレイヤー』のような声楽をしっかりと取り入れている作品というのは、あまりちゃんと聴いてこなかったので新鮮だった。COVID-19のパンデミックのなかで書き上げられたというこの曲は、「旅する者の祈り」という名前の通り、宗教音楽のような荘厳さがあり胸を打たれるのだけど、何といっても圧巻はやはり『18人の音楽家のための音楽』でした。無限にも思える小さな音の揺らぎがコンサートホール全体に充満していくような、生演奏だけが持つ力を思い知らされたような感じです。

東奔西走。能舞台で、しかも3人編成というかなり珍しいセットだと思われるサリフ・ケイタの京都。古代マリ帝国王家の直系の子孫でアルビノという、これまた珍しいプロフィールにまずは惹かれて、不純な動機で聴き始めたサリフだけど、まさかこんなアンチームな雰囲気で聴くことができるなんて思っていなかったのでシンプルに感動しちゃう。それにしても、マリの王族というと、人類史上最高の総資産を持っていたといわれ、メッカ巡礼の途上で立ち寄ったカイロで金相場の下落を招くぐらい金をばらまいたというマンサ・ムーサがまず思い浮かびます。それから時代は下って、血が繋がっているかとかはまったく存じ上げませんが、同じマリの王族出身のサリフが、おそらくはアルビノを理由に迫害され、一時はホームレスもしていたとのことなので分からないものです。サリフたちも、ブラジル出身のルーカス・サンタナも、客席を含め終始いい雰囲気で、アンコールなどは能舞台に投げ銭をするというちょっと見たことのないピースフルな風景になっていました。

2つの公演の間の22日(土)は、3月の東京でも観たミュージカル『マリー・キュリー』を梅田芸術劇場でおかわりしてきました。主演は元月組トップ娘役の愛希れいか。マリー・キュリーの人生を、かなりフィクションを織り交ぜて再構成した、この韓国発のミュージカルは、適切な名前で呼ばれることができる居場所の存在を、周期表というモチーフに重ねて描いている点が、とても僕好みです。全然違いますがプリーモ・レーヴィの名作『周期律』などを思い出したりします。史上初めて2度のノーベル賞を受賞した偉大なる科学者の卓越した知性や努力を讃えつつも、それでも人間的な欠点や苦悩を持った一人の女性として描くこのミュージカルには、彼女が発見した放射性元素ラジウムが持つ可能性と危険性など、ほかにも着目に値する主題があるのですが、物語の終盤でさりげなく使われていた「待つ」という言葉が僕には重く感じられました。ラジウム製品を扱う企業の社長が、自身も被爆してラジウムの危険性を訴えようとする自社の工員に対して、事を荒立てることなく「待つ」ように指示するのですが、あの2014年4月の痛ましいセウォル号沈没事故の際、沈みゆく船の中で不安に怯える修学旅行生たちに乗組員が出した指示が、この「待っていなさい」でした。いわく、安全だから、と。我先にと乗組員たちが船から逃げ出した後も、学生たちは指示に従って大きく傾いた船室で待ち続けていたんだそうです。「(数学の)傾きってどうやって求めるんだっけ?」なんて冗談で互いを励ましながら。セウォル号については、『目の眩んだ者たちの国家』(新泉社、2018年)という優れた評論エッセイ集が日本語でも出版されているので、いつかまた触れられたらいいなと思っています。

『マリー・キュリー』で心が大変な思いをした後は、京都の先輩といった具合の友人と落ち合い、お酒を飲む。呑みます。あれは男子校のノリなんでしょうか、あの先輩後輩みたいな関係をついぞやってこないで生きてきたのだけど、だから彼は僕にとって、ちゃんと「先輩」という感じで慕っている、ほとんど唯一の人になっています。彼が高校時代を過ごし、「思い出深いというよりは思い出があちこちに転がっている」という高槻に移動して、缶ビール片手に少し散策。ある程度大人になってから仲良くなった人の、思い出の地に連れて行ってもらうことは何度か経験しているけど、大きな感動とかではもちろんなくて、でも胸に沁み入るような、得も言われない静かな楽しさがあります。あちこちに転がっている思い出を一つ一つ拾い上げてみて、ちょっと眺めてはまた戻すみたいな。いつも京都のアートシーンについてや、僕がフォローできていない色々なことを教えてくれる彼とは話すトピックがあり過ぎて、何から喋ろうかと考えているうちに大体酔っ払ってしまう。彼の行きつけ、「はるぴん」という店がすこぶる良かったのは覚えている。さらに十三に移動して、先輩いわく「後輩が始めたバー」へ。こういうところが何というか僕の考える「先輩」らしくて非常に楽しい。財布のお金がまったく減っていないので、今回もしっかり先輩に奢られてしまったようです。

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