京都の先輩らが始めた『Project of Psalms』の第1回『Marcelino』に行く。Paslms(詩篇)とあるように旧約聖書からインスピレーションを受けつつ、山中透さんの楽曲と合田有紀さんのダンスにより思索を展開するシリーズとのこと。『Marcelino』というタイトルは1955年のスペイン映画『汚れなき悪戯』の原題(Marcelino, Pan y Vino)からだそうですが、妙に聞き覚えがあるなと思うと1991年に原題そのまま『マルセリーノ・パーネ ヴィーノ』のタイトルでリメイクされた映画を観たことがあったのを今になってようやく思い出した。パフォーマンスは、そこはかとない悲しみに貫かれながらも、聖なるものに対する畏怖の念が徐々に安らかな感動へと変わっていくようで美しい余韻が残る。聖骸布を思わせるような大きな布や、この世ならざるものの濃密な雰囲気をたたえた面などが効果的に使われていた。とても面白かったので続けていってほしい。それはともかく、会場がほとんど知り合いばかりで、何だか忘年会のようで嬉しかった。以下は『Marcelino』のイベントページに掲載されている文章の引用です。
(前略)
なぜ修道士たちに愛される、無垢な子供は死んでしまったのか?
とても理不尽に思える物語ですが、イエス・キリストの物語りや教え、復活、昇天等の知識がなく、おおよそ熱心なキリスト者とは呼べぬ五歳児のマルセリーノが、直感的にキリスト像を「神様」と呼び、それでもおののくことなく飢えたイマジナリーフレンドとして憐れみ、食糧を差し出しす様子に、我々にも通底する素朴さを感じたことが流行の一因だったのかもしれません。
その意味において、極東の多くの”部外者”はマルセリーノと同じ地平におり、同時に昇天するキリストを見送る使徒たちの心情に重ねられた修道士たちの、愛おしいマルセリーノの死に対する悲しみと、聖なるものに対する畏敬や祝福というアンビバレントも、宗教を超えて共感しうる視点です。
これらの死と祝福、悲観と聖なるものを、音楽による実験性と、肉体的思考によるダンスで考察するのが「Marcelino」です。
詩篇 (30:11)
あなたはわたしのために、嘆きを踊りにかえ、荒布を解き、喜びをわたしの帯とされました。
「嘆き」を「踊り」に変換する装置が神への”祈り”であるのなら、今回のパフォーマンス空間もその斎場になる瞬間が訪れるのかもしれません。