生活綴られ方練習

祝52回

主に取材のために京都と東京へ出張する週。どちらも頻繁に行っているので、あまり出張という気もないけれど。取材のうちの一つは、美術展の記者会見とは思えないほどにお金のかかった大々的なもので、だからなのでしょう、張り切ったメディアもたくさん来ていて独特の熱気が会場にあふれる。それはそれで良いのだけれど、そうやって作られた記事が結局のところ旧TwitterのXInstagramなど、横並びのプラットフォーム上で読者にリーチするのだから、同じ内容を取材した記事がそんなに一つ所にたくさんあることにどれほどの意味があるのだろうと少し考え込んでしまう。媒体による切り口の違いを、どれほどの人が気にしてSNSのフィードを眺めているのだろうかと。もっというなら、ことニュース記事においては、即日公開が基本にすらなってしまっているものだから、その媒体ごとの差すらあまり感じられなくて、せいぜい光の具合が微妙に異なるだけの提灯記事がいちどきに現れては、また何もなかったかのように忘れ去られてしまう。「バズる」話題を作りたい人にとっては便利なかたちともいえましょう。僕は、話題になっていない話が聞きたいです。

前回の投稿ではインターネットについて少しネガティブに書いてしまったが、僕自身は中高生の頃に初めてちゃんと触れて衝撃を受けたこのテクノロジーについて、ひとかたならぬ思いを持っているのも事実です。ただ、あらゆる技術と同じように向き不向きがあるということが、どうも顧みられていないような気がします。僕自身、ウェブメディアに勤めていた頃は、ネットワークというものの特性を意識しながら記事を企画したいと思いながら、なかなかそういう話が同僚とはできなかったという歯がゆい経験があるので、メディア側の気持ちも分かる。たとえば、おらが村に空港を作るとして、世界中に幾千とあるどの空港に就航するのがいいかと考えると、そりゃ日本なら羽田や成田、いわゆるハブ空港への直行便を飛ばしたいです。一回の乗り継ぎで行ける選択肢を増やすことが一番の便益になるので。実際には、空港の使用率や費用、距離といった物理的な制約によって妥協をせざるを得ないので、本当は新千歳に行きたいところを丘珠空港にしようとか、成田の第三ターミナルで手を打とうとか妥協があるわけですが、そういったものにほとんど縛られることのないウェブの世界は、かなり理想的なネットワーク理論が顕現する場となっているはずでしょう。リアルな世界より一層、大きなハブがより大きくなりやすい構造になってしまっていることを皆さんどのように感じてらっしゃいますか?

別件の取材で一緒だった、旧知の仲のカメラマンとも、アクセス数を指標にしているウェブメディアだけれど、写真の良さや文章の良さとページビューとに強い相関があるとも到底思えないよね、といった話をした。いや実際にはもっと生っぽい会話なんですが、内容を要約するとそういった感じだと思う。iPhoneで撮影した写真とともに、プレスリリースをコピペしたような文章で作られた記事が誰のSNSにも溢れ返る環境に対して、そうはいっても皆さんプロのライターだからCommand+C,Command+Vの使い方も上手で、スマホのカメラもどんどん性能が良くなっているし、別に良いじゃんと言われたらあまり何も言い返せないんだけれど、メディア環境を取り巻くリソースについて何か得体の知れないコストを支払っているような不気味な気分にもなっている。そんなこと思っても、悲しいかな、かといって大層な批評を書けるわけでもないからと、歯噛みするような気持ちで、少なくとも自分に対しては嘘のない多少はマシな文章を粛々と書いていくしかないのだろうなと考えたりする。きっと、インターネットの観音様みたいな人がどこかで観ていてくれているに違いないと、自分でも冗談なのか祈りなのか分からない言葉で我が身を支えるようにして。

このテキストサイトも今回で52回目の投稿となるらしい。ジョーカーを除いたトランプの枚数であり、およそ1年間にあたる週の数でもあり、誰に望まれているわけでもないサイトを続けてきた達成感を免罪符に、少し感傷的な雰囲気で書いてみましたが許してほしいです。なにせ52回目の投稿なので!

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