ただ漫然と生きて馬齢を重ねているだけの日々なのに、なぜこうも驚くべきことばかりが起こるのだろうかと思う。関西滞在中に帰省している実家で、ドナルド・トランプの共和党の副大統領候補にJ・D・ヴァンスが選出されたというニュースを知った。先日のローズハウス引っ越しのための片付けの際に出てきた、ヴァンスの自伝『ヒルビリー・エレジー』(関根光宏・山田文訳、2017年、光文社)が、僕に借りたものじゃないかと言われ、たぶん違うんだけどちょうど東京に持っていっていた本を読み終わったところで、引っ越しの邪魔になるなら預かるよということで、ちょうど旅のお供に読んでいたところだったので得も言われぬ気持ちになる。
書名にある「ヒルビリー」というのは、「田舎者」といった意味の侮蔑語だそうで、ロカビリーミュージックの由来でもある。ラストベルトのオハイオ州に育ち、スコッツ=アイリッシュの家系に属することを自認するヴァンスにとって、アメリカ社会において「ヒルビリー」や「レッドネック(首筋が赤く日焼けした白人労働者)」「ホワイト・トラッシュ(白いゴミ)」と蔑まれる白人労働者階級は「隣人であり、友人であり、家族である」と、同書の「はじめに」には書かれている。「ヒルビリー」という語は、彼ら自身にとってもアイデンティティを規定する言葉にもなっているようだ。
アメリカンドリームを夢見て、アイルランド北東部のアルスター地方から新大陸を目指したヒルビリーたちは、ケンタッキー州やテネシー州などのアパラチア山脈地域に棲み着き、はじめは鉱山労働者として、アメリカの産業構造の変化に伴って工場労働者、そして脱工業化の進んだ現在にあってはラストベルトの不安定なブルーカラーとして、その一族の歴史を紡いでいる。ヴァンス自身の言葉を借りるなら、アパラチアのヒルビリーにとって貧困とは代々受け継ぐ「伝統」ということになる。結婚と離婚を繰り返す両親や、親族に逮捕歴のある者や薬物中毒者がいることは、ここでは至極当然のことで、実際にヴァンスの母親もそれらすべてに該当するだけでなく、実の子であるヴァンスを衝動的に殺しかけてさえいる。
そんな環境で育つ子どもたちが社会的な成功を遂げることがいかに難しいか。世界最高峰のロースクールであるイェール大学を優秀な成績で卒業したヴァンスの自伝であり、アメリカ白人貧困層のルポルタージュでもあるような本作の主眼は、そこにある。ヴァンスは言う、自分と同じような境遇にある子だちが、「安心して暮らせる空間をつくる必要がある」と。家族を馬鹿にした奴には暴力で反省させてやろうというヒルビリー特有の「男らしい」文化や、海軍ブートキャンプで「人間らしい」生き方を学んだというエピソード、明確な意志があったわけでなく貧困層から「成功者」になれるという優越感に駆り立てられただけのように思えるロースクールへの進学など、ちょっと首をかしげたくなる部分もあり、また自己啓発っぽい書きぶりにも少し違和感を感じもするが、それらも含め現在のアメリカを生きるヒルビリーたちの生々しい実情を見るようで総じて面白い内容になっている。
だから、そんなヴァンスがトランプ大統領の右腕みたいな顔をしてテレビに映っていることが驚きだった。この本で知ったというか、この本でしか知らないヴァンスだから、執筆時にはシリコンバレーの投資会社を経営していることは著者来歴に書いてあったものの、政治の世界に入っていることもまったく知らなかった。ラストベルト、バイブルベルトの票だけに飽き足らず、西海岸のテクノリバタリアンたちの票もトランプに流れるんじゃないかと憂鬱な気持ちになる。
小さい頃から空想に溺れがちで「現実逃避をしている」と言われることが多かったけれど、僕から言わせれば、現実の方が僕を置き去りにしてどこまでも先に逃げてしまうような感じだ。だって、トランプが二度も合衆国大統領になりそうな現実、とても追いつけそうにない。