マチルド・モニエ & ドミニク・フィガレラ『ソープオペラ、インスタレーション』を観たり、美々卯のうどんを食べたりした関西から、仕事を兼ねて新宿歌舞伎町の王城ビルで開催されていた『おかしなおかね』というイベントに行く。一人で行くのも気が引けて何人かに声をかけたところ「コムアイさんと食品さんって、ありそうであまりなかった座組が面白そう」と何度かここにも登場している友人の音楽ライターが来てくれる。イベント自体は、入場時に渡される「ぺ〜ら」という架空の通貨を使って、物品を買ったりパフォーマンスを観たりできるというものだ。贋金が流通したり賭博が行われたり、お酒の値段が高騰したりと「通貨」を巡る様々なことが起こる。「ぺ〜ら」が特別「おかしなおかね」なのではなく、お金というものが本来「おかしな」存在だということに気付かされる。
学生時代の一時、ピエール・クロソウスキーの『生きた貨幣』(ピエール・ズッカ写真、兼子正勝訳、2000年、青土社)で卒論を書こうと身の程知らずの計画を企てていたこともあり、象徴としての貨幣については少し不思議な関心を持ち続けている。その手のものでは今村仁司先生にちくま新書の『『貨幣とは何だろうか』(1994年、筑摩書房)という良書があり、すこぶる面白い。媒介形式としての貨幣についての論考で、その点において貨幣と文字との類似性が指摘されているところなどもスリリングです。とはいえ、もう10年以上も前に読んだので細部はほとんど忘れてしまっている。今また読み返してみるのもいいかもしれない。
貨幣に興味を持っても、経済学的な道筋にあまり思考が流れていかないのが、情けなくも自分らしいなと開き直っている次第。タロットの世界では「コイン」や「ペンタクル」と呼ばれる、まさに貨幣を表すスートがあります。スートというのは、トランプのマークみたいなものでコインのスートはトランプでいうダイヤに相当するものと考えて差し支えない。映画監督のアレハンドロ・ホドロフスキーには、マリアンヌ・コスタという人との共著『タロットの宇宙』(伊泉龍一監修、黒岩卓訳、滝本誠解説、2016年、国書刊行会)という非常に分厚い本があり、ここ最近はずっと枕元に置いており気が向いたときにぽつぽつと読んでいるので、タロットのコインが西洋占星術などでも出てくる四大元素の「地(土)」に対応すると考えられているということを知る。貨幣が鉱物から作られていたことを考えると素直な対応だが、つまり金牛宮(おうし座)・処女宮(おとめ座)・磨羯宮(やぎ座)などと似たイメージなのでしょう。動詞でいうなら「have」「analyze」「use」といった具合です。
チリ出身でロシア系ユダヤ人のホドロフスキーは、自身の育った環境においてタロットが持っていた重要性を本のなかで述懐している。先日観た映画『墓泥棒と失われた女神』も、本国でのポスターはタロットのモチーフが使われていたが、そのイラストレーターがアルゼンチン出身だったこともあり、南米におけるタロットの存在感が気になる。ボリビアとアルゼンチンを旅行したのも10年以上前で、当時はアイマラ族やケチュア族といった先住民族や、コロニア・オキナワと呼ばれる集落に住む極東からの移民への関心が強くて、ヨーロッパ特に中東欧からの移民についてはほとんど注意を払っていなかった。ポーランドからアルゼンチンに流れたヴィトルド・ゴンブローヴィッチをはじめ、亡命地としての印象も強い南米には、きっと多種多様な人々が逢着したことだろう。そのなかにはロマと呼ばれる人々のようにタロット占いを生業の一つにしていた人たちも少なからずいたのかもしれない。史実はどうあれ、想像力で遊ぶための素材としては面白い。
中央ヨーロッパから新大陸に渡った「貨幣」というと想い起されるものがもう一つ。温泉で有名なチェコのカルロヴィ・ヴァリ州に、ヤーヒモフという街がある。昔から鉱物がよく採れたエリアで、かのマリー・キュリーもここで採掘されたウラン鉱からラジウム元素を発見している。かつてはドイツ語でヨアヒムスタール(聖ヨアキムの谷)と呼ばれた当地で16世紀以降に採掘の始まった銀を使った貨幣は、ヨーロッパ中で使われるようになり地名から「ヨアヒムスターラー」と名付けられた銀貨も次第に単に「ターラー」と呼び習わされるようになる。その名は地域によって多少の差があり、スカンジナビアでは「ダーラー」、オランダでは「ダールダー」、イングランドでは「ダラー」などと呼ばれた。ここまで来ればアメリカ大陸はもうすぐそこで、500年近くの歳月が流れた21世紀の今なお世界の基軸通貨は「ドル」と呼ばれているのだから、お金というものはおかしなものです。