松本の仕事で安曇野まで取材に。帰りに取材メンバーで寄った蕎麦屋では、店主が長野県の「きのこ衛生指導員」であるとかで、ご自身で採った天然のきのこを出してくれる。見たことのないキノコたちに加えて自然薯まで食べられて、とても満足でした。この編集メンバーが来年に企画しようとしているイベントが面白そうなので、僕もお手伝いができたらと思う。柳宗悦に朝鮮陶磁の魅力を伝えた浅川伯教・巧兄弟についてのもの。もちろん存在は知っているものの、よく考えるとあまり知らない。というわけで、本屋。
『増補三版 朝鮮の土となった日本人』(高崎宗司、2002年、草風館)は、日本統治化の朝鮮半島で植林事業を行うかたわら工芸を研究した浅川巧の伝記。版元は、アイヌに関連する書籍もたくさん出版しているようで気になる。ガヤトリ・スピヴァクが京都賞を受賞したときの記念講演をまとめた『いくつもの声』(星野俊也編、本橋哲也・篠原雅武訳、2014年、人文書院)を最近読んでいて、ある言語そのものが持っている記憶といったことが強く語られて印象的だった。アイヌ語が持つ記憶も興味深いが、知識層に限っていえばかつての日本人はみな漢文に習熟していたということが気になっている。その能力をほぼ失っているだろう現代のエスタブリッシュ層とは、何か異なる言語の記憶を、国の変革を志した明治の若者たちは有していたのだろうか。そんなことを考えながら、漢文の苦手な僕も『漢文ノート』(齋藤希史、2021年、東京大学出版会)を読んでみようと買ってみる。漢文に関する書籍は人文コーナーにあるものだけれど、ひょっとしたら文芸にも何か関連するものがあるかもしれないと棚を眺めていて気になった『ことばの地理学』(大西拓一郎、2016年、大修館書店)も。著者は大阪府出身で長野県で方言の研究をしているらしい。何だか古いものを扱っている本ばかりを買ってしまうなと思って、コンピュータ書の本棚へ移動するも、結局買ってしまったのは『なぜデジタル社会は「持続不可能」なのか』(ギヨーム・ピトロン、児玉しおり訳、2022年、原書房)という、デジタル社会にネガティブそうなものになってしまった。今年の初めに買った『AIと白人至上主義 人工知能をめぐるイデオロギー』(ヤーデン・カッツ、庭田よう子訳、下地ローレンス吉孝解説、2022年、左右社)を最近になってようやく読み始めたからかもしれない。