生活綴られ方練習

あけましておめでとう?

この場合、「あけましておめでとう」という挨拶でいいのだろうか。

あっという間に2026年で、歳をとると時間がどんどん速く感じるというが本当にそう。大晦日にも開いていた森美術館で観た『六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠』は、まさに「時間」がテーマ。「時間を多角的に解釈することで見えてくる、異なる時間の交差に注目」しているとのことで、発酵・蒸留というプロセスを経るブランデーの時間、永久凍土の中で眠るマンモスの死骸の時間など、一律ではない多様な時間を想像させる作品や、特定のコミュニティで「同じ時間をともに過ごす」ことに重きを置いた、プロジェクトベースの作品などが紹介される。時間を扱った展覧会でありながら、大きな意味での「歴史」を正面から捉える作品が少なく感じられることこそが、いわゆる「大きな物語」を持ち得ない現代の諸相を反映しているのかもしれない。懐かしいエリアに移動して、実兄の家で新年を迎える。

大晦日から元旦にかけての都市圏では、初詣や初日の出のために電車が終夜運転を行っていて、誰もが少し疲れているのに何やら晴れがましいあの雰囲気が好きだ。ホテル代も高いことだし、終夜運転でだらだらと松本に帰るのもいいかもしれないとなり、時刻表を見ていたら、JR新宿駅から富士急行の河口湖駅まで直通で走る特別列車があるようで、大まかに同じ方面だからと試しに乗ってみる。もちろん酔っぱらってもいるし、「今年」という言葉が指すのが、去年なのか来年なのか本当に今年なのかよく分からない曖昧な頭のまま、乗り込んでみたら思っていたよりも随分と多くの乗客がいる。後から調べたところによると、どうやら河口湖からさらにロープウェイで山を登った先でが、富士山頂と昇ってくる太陽が重なる「ダイヤモンド富士」なるものが見られるらしい。そんなに綺麗な景色なら、もっと良い名前を付けてあげたらいいのにと思う。

2日は、松本の年上の友人宅にお呼ばれ。秋田県に住んでいた頃に知ったという「だまこ鍋」という郷土料理などをいただく。東日本大震災が起こった当時、カメラマンとして秋田から被災地へ向かった話などを聞く。当たり前だけれど、よほど凄惨な状況だったようで、「自分でそういう番組をつくっていてなんだけど、見たくないですよね」と語っていたのが印象的だった。正月のラジオを聞いていても、復旧作業がいまだに終わらない、いつ終わるかも分からない能登半島地震の番組があり、この2年間どんな日々を過ごしてきたのだろう。元日の意味も随分と変わってしまったように思う。自分がこんなにも平和に生きていられることが、何とも不思議でありがたい話です。などと思っていたら、米国によるベネズエラ急襲の報せ。SNSでも「モンロー主義」の話などが飛び交い、それもそうだけれど、むしろ「マニフェスト・ディスティニー」という不吉な言葉が頭をよぎる。というか、当のドナルド・トランプ自身が2025年1月20日の大統領就任演説でこの言葉を使っていたのでした。本当に世界はどうなってしまうのだろう。

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