大型連休は結局ほとんどどこへも行かず、松本へ遊びに来た友人と遊んだり遊ばなかったりした。カレンダーと関係なく普段からあっちゃこっちゃ行っている暇人なので、わざわざ混雑していて宿代も高い時期に移動する必要もないのだし、それはそれでいいのだけど連休気分という感じではなかったかも。その腹いせ、ということでもないのだけど連休明けにアーティゾン美術館でやっているダムタイプの第59回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館展示帰国展『ダムタイプ|2022: remap』に滑り込んできました。高谷史郎さんらしいバチッとキマったビジュアルに、19世紀なかばのアメリカで使われていた地理学のテキストからのテクストが意味があるのかないのか分からない感じで引用され、これが今のダムタイプらしさなんだろうなと感じました。『S/N』のころのような、艶笑とも破礼とも微妙に違うのかもだけど、人間がどうしても持ってしまう哀しいまでの滑稽さというのか、笑うしかないような寂しさというのか、そういうのがとても好きだったんだなと最近は思います。
ダムタイプの音楽といえば何はさておいても山中透さん、という態度でいるので、坂本龍一さんがヴェネチア・ビエンナーレでの展示のメンバーになると聞いたときは、教授ほどの大御所がそんな大きい舞台だけかっさらって行かんでも、というのが正直な感想だったのだけれど、こんなことになってしまって感傷もあるのかもしれないものの、フィールドレコーディングの作り方なんかはとても良かったように思う。間に合って良かったですね、というのが気持ちとしては案外当たっているかもしれない。ご冥福をお祈りします。
YMOドンピシャって世代でもないし、ディグって見つけた隠れた天才って感じでもないし、そういうふうに触れたものというのは作品の良し悪しにかかわらず、あまり思い入れというものを持ちづらいのかもしれない。当たり前に普通にいて、素晴らしい才能を持った偉い人。なので、教授に関して一番印象的だったのは、ゲストディレクターを務めていた『札幌国際芸術祭(SIAF)』を巡ることかもしれない。教授ともダムタイプとも関係の深い浅田彰さんが企画アドバイザーとして名を連ねていて、志望する大学を選んだ理由の大きな一つに彼の存在があった僕などは、むしろ坂本さんよりも浅田さん目当てで行った覚えがあります。シディ・ラルビ・シェルカウイ + ダミアン・ジャレを観られたのは本当に良い経験でした。
教授がディレクターを務めた2014年の次回にあたる2017年のSIAFでは、やはりミュージシャンの大友良英さんがゲストディレクターでしたが、このときのSIAFはめちゃくちゃ楽しかった。当時から暇人だった僕は、会期始まってすぐに行った後、楽しすぎたものだから3週間ほど札幌市内のマンションの1室をAirbnbで借りて堪能したものです。何せテニスコーツが街なかのいたるところで神出鬼没のライブをするものだから、やむなしです、避けられないことでした。2021〜22年東京都現代美術館で開催されて大混雑だったクリスチャン・マークレーの展示もゆっくり観ることができたし、Sachiko Mさんがアジアの様々なアーティストと一緒に続けているプロジェクト『OPEN GATE』にも毎日サッポロクラシック片手に通い詰めた。あんなに楽しい芸術祭体験はもうこの先ないかもしれない。あるかもしれないけど。
なかでも強烈に感銘を受けた作品が、そして唐突にここで教授の話に戻ってくるのだけど、毛利悠子さんの『そよぎ またはエコー(Breath or Echo)』です。左右両側の天上まで届く窓から大空と豊かな緑を望む空中回廊(清家清設計の札幌市立大学)に、朽ちたピアノや横倒しになった街灯がダイナミックに置かれた会場の、随所に碍子などを用いた小さな装置が配され、微細な空気の動きや磁石の力によってそれらが動いてささやかな物音を立て続けている。札幌芸術の森の野外展示場で風雪にさらすことで、時間とともに崩折れることを作品化した『四つの風』で知られるアイヌの彫刻家、砂澤ビッキにインスピレーションを得たという同作は、ベンヤミンの絶筆、いわゆる「歴史哲学テーゼ」からタイトルを採っているように、開放的な空間とはうらはらに、濃密な「過去」の空気で張り詰められて、ちょっと息苦しいほど。壊れたピアノが自動演奏で奏でる音楽が坂本龍一さんの作曲なのだけど、そうはいっても壊れたピアノだから出ない音があったはずだけど、このあたりは記憶があやふやです。あやふやついでに無責任なことを書きますが、たしか、2014年から引き続きSIAFに参加した毛利さん自身が言っていたのが、SIAF2014のときに体調不良によって最後まで参加できなく無念な思いをした坂本さんを、もう一度SIAFに最後まで参加させてあげたかったというようなことでした。
瓦礫からはいつも強い風が吹きつけていて、歴史の天使は未来へと流され続けざるを得ない。