生活綴られ方練習

強迫観念

諸事情により自分の履歴書やら職務経歴書みたいなものを整理していた。学部も留年しているし、大学院は中退していて、何とも頼りない経歴ながら、何となくそれっぽくなるように整えてみたら、何となくそれっぽくなって我ながらちょっと笑ってしまう。こんなにふらふら生きているのに、これまで何とかやってこれたのは本当に運がいいなと思うんだけど、この幸運は本を読むことによってもたらされている気がしているので、最近は若いころほど熱心に読んでいるわけでもないし、世の読書家の人々を見るにつけ「趣味は読書」と言うのが憚られるような気持ちにもなってしまうものの、何があっても本だけは読んでいこうとぼんやりと考えている。本を読んでいるうちは、大丈夫。

思い返せば、幼少期を過ごした家の本当にすぐ近く、子供の足でも、ものの数分の距離に小さな図書館があったことは、僕にとってとても大きなことだったのだと思う。小さな図書館というのがポイントで、大学の図書館などは「まだ読んでいない本がこんなにもある」という、ワクワクというよりも重圧の方を強く感じて苦手だった。子供の頃のあの図書館では「このくらいの冊数なら読み切れるんじゃないか」と本気で考えていたふしがあって、児童文学やら星座の本やら、あの頃に片っぱしから読みふけったからこそ、たぶん今、本を読むということが日常になっている。それはもちろん日課の読書とかではまったくないし、楽しくて仕方がない趣味ともちょっと違っていて、ひょっとしたら、お腹が空いたらお米を炊く、というような感じで本を読んでいるのかもしれない。内容が理解できなくても、読んだはしから忘れてしまっても、その本とはほとんど関係のない空想を始めてしまっても、そんなことは大した問題じゃないのです。そんなこんなで最近は図書館というものに関心を持っています。地方都市に育つ子供にとっての文化の広場としての図書館。

イタリアで多数の図書館の計画に関わるアントネッラ・アンニョリさんという人がこれからの図書館についての本を書いていて、みすず書房から『知の広場――図書館と自由』(2011年、新装版2017年)『拝啓 市長さま、こんな図書館をつくりましょう』(2016年)という2冊の翻訳が出ています。堅苦しい「知の番人」ではなく、市民が憩う「知の広場」としての図書館のあり方について、図書館サービスだけでなく、建築やインテリアまでを射程におさめた示唆に富んだ話がたくさん載っている実践的な本です。そんなアンニョリさんは、イタリアの日刊紙によるインタビューでの質問に対して、「私は本より人が好き、本を読む人はもっと好き」とはっきりと答えていて、その力強さに何というか気圧されてしまった。とはいえ、本を読む人のことなら、僕も好きになれる気がします。

この日曜日には、なぜか朝起きると強迫観念的に長野県小布施町に行くことになってしまっていて、これはもう「小布施ッション」と言わざるを得ないなと思いながら、2009年に竣工した「まちとしょテラソ」の愛称で知られる小布施町立図書館にも少し立ち寄ってきた。特集の棚構成などは少し軟派に感じてしまったものの、大樹のような形をした3本の柱に支えられた高い天井の空間で、書棚の隙間にちょっとした座席が設けられていたりして、開放感と親密さとの両方が感じられる気持ちの良い建築でした。設計は同じ長野県の茅野市民館も手がけた古谷誠章+NASCA。図書館にあった小布施の本のコーナーには、何の因果か本当に『小布施ッション』というタイトルの書籍があって、どうやら小布施の街づくりのキーパーソンとなったセーラ・マリ・カミングスさんという人が開催していたイベントをまとめた講演録のようなものらしい。なんだか面白そうです、栗と北斎の町、小布施。

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