「8月ジャーナリズム」という言葉があるけれど、ヒロシマ、ナガサキ、終戦記念日のある8月にだけやたらと戦争や平和について報道するマスメディアを皮肉った言葉であって、その批判はごもっともと思いながらも、それでも8月にすら戦争のことを考えなくなってしまったらそれはもういよいよ、という話で。「平和の祭典」という大義名分で執り行われているらしい運動会でメダルラッシュがどうのこうのと報道番組に似つかわしくない熱っぽさで語られる声が、防災用にも使えるラジオから流れてくるのを憮然とした気持ちで聞き流しながら、こういうスポーツ大会が開催されている時期には、報道すべきニュースが実際に減っているとジャーナリストたちは本気で思っているなんてことがあったりするのかしらなんて考えていた。やがて、この酷暑のなかでは正気の沙汰とは到底思えない高校野球などが始まると、NHKのR1ばかりを聞いている僕のラジオライフはまさに壊滅的だから、ひと夏のごく短い間しか成虫として生きられない半翅目の喧しい声ばかりに耳を任せることになるのでしょう。
せめて8月くらいは歴史を学ぼうと、太平洋戦争に直接関わることではないけれど山崎朋子さんの『サンダカンの墓』(文藝春秋、1977年)を読み始めた。その多くは騙されて東南アジアに連れてこられた、まだ年端もいかないうちから体を売ってお金を稼がなくてはいけなかった「からゆきさん」たちの話。「稼がなくてはいけなかった」なんて賢しらにいうけど、稼ぎのほとんどは、地理的にも、もはや心理的にも遠いかもしれない九州にある実家への仕送りだけでなく、女衒の懐にもたんまりと配分されていたろうことは想像に難くなく、一体「稼がなくてはいけな」くしていたのは誰なんだろうと思う。原子爆弾のことだけでなく、長崎には改めて訪れたいと、ここ最近は思い募らせている。
何だか暗い話ばかりなので、閑話休題。ちょうど1年前のこの時期には、当テキストサイトでは夏休みをしていたようです。夏休みの僕に代わって、これを読んでいる奇特なあなたに書いてもらうという趣向です。本当に遊んでくれた人もいたようですが、皆さん奥ゆかしい性格なのかなかなかその内容を教えていただけていません。こちらからは本当に読めないので、今年も夏休みの宿題よろしく、ぜひ遊んでいただいてスクリーンショットの提出をお願いいたします。