生活綴られ方練習

何のこっちゃ

いつものようにラジオをかけながら仕事をしていたら、石破茂内閣総理大臣の所信表明演説が流れてきて、石橋湛山の「国政の大本について、常時率直に意見をかわす慣行を作り、おのおのの立場を明らかにしつつ、力を合せるべきことについては相互に協力を惜しまず、世界の進運に伍していくようにしなければならない」という言葉が引用されている。石橋湛山という人はどうも不思議な人で、戦時中にはジャーナリストとして軍部批判を続け、それにもかかわらず戦後の占領期にあってはGHQに対しても遠慮のない態度を取っていたばかりに公職追放の憂き目に合っている。現在の日本政治がどこで間違ったのか、バブル崩壊後の官僚バッシングが一つのターニングポイントなのではとかねがね睨んでいたのですが、最近ではもっと根深いところにその淵源があるのかもしれないと、苦手な政治についても知りたいと考えて『石橋湛山の65日』(保阪正康、2021年、東洋経済新報社)をちょうど読んでいたものだから湛山の名前がラジオから聞こえてきて思わず耳をそばだてる。65日という短命に終わった石橋内閣だが、よもや石破内閣がその任期の短さにあやかろうと思ったはずはなく、呉越同舟の議会を「常時率直に意見をかわす慣行を作り、おのおのの立場を明らかにしつつ、力を合せるべきことについては相互に協力を惜しま」ないという、民主主義の理想を確認するポーズだったのだろうと思い、そのことについては少なくとも好感が持てる。ちなみに、石橋内閣が65日で終わった理由である体調不良の原因は、前出の本によれば、湛山が自民党総裁に選ばれたことを祝う会が母校である早稲田大学で催された際に、寒さから風邪を引いたというのである。何故か窓を開け放った会場で、迎える側の学生たちは防寒服を装着しているが、主賓たる湛山などは礼服を崩すわけにもいかず、なんて具合で何のこっちゃという話だ。保守でありながら(だからこそ?)アメリカ合衆国に対しても国としての立場を強く主張できたであろう石橋内閣が続いていたら、日本の政治はまったく違ったものになっていたろうという内容の本だったので、政治に疎い自分からするとそんな謎の早稲田の祝賀会で体調を崩したことが理由で日本の戦後政治が大きく変わってしまったのだとしたら、本当に何のこっちゃという気持ち。もうちょっとちゃんとした理由でおかしくなっていてほしい、せめて政治くらいは。

政治に対しては苦手意識があって、あまり本なども読んでこなかったと思うが、今年はドナルド・トランプが副大統領候補に指名した時期に前後してJ・D・ヴァンスの本を読んでいたりもして、何というのかタイミングが合う。それはすごい偶然というようなことではなく、多くの人が関心を持つトピックに僕も同じく関心を持っていたというほどのことなのだと思うけれど、そういうことが実は歓迎すべきことなのだろうと考えている。思想信条が相容れない可能性のある人の話に注意深く耳を傾けるのは、正直に言って億劫で、大人になればなるほど後回しにしてしまいがちだけれど、ひょっとしたら少しは理解できるかもしれないと思える人の話から、ちょっとずつ知っていくしかないんじゃなかろうか。インターネットの世界に限らず、極端な言説ばかり振り回す人はどこにでもいるので、どんな意見にも同じく誠実に向かい合うということでは決してないので、そこが難しいところだなと感じる。

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