生活綴られ方練習

世の中が衰亡してくると

5月にも遊びに来てくれた友人が、今度は泊りがけで遊びに来る。少し遠出もできると思っていたら「無言館に行ってみたい」というので、案内がてら僕も久しぶりに訪れようということに。蕎麦屋「みすづ」でお腹と猫を満たしてから。無言館の展示は感情がヘビーになるから道中は軽口を叩きあうくらいがちょうどいい。彼の仕事である翻訳のことや大学教員のことなど、根掘り葉掘り。松本に帰ってからは台湾料理「豊味」へ。たくさん食べる人なので、色々なメニューを注文できて楽しい。いたく気に入ったご様子だった。

翌日は共訳を進めている松本の知人と打ち合わせをするというので、しばし別行動。雨の少ない松本なのに、彼が来ると決まって土砂降りだから可笑しい。終わる頃を見計らって、打ち合わせ場所の想雲堂へ。想雲堂のご店主が作っている『松本の本』4号を買いたかったので、ついでに古本も物色していたら書名に蒼頡の名があるのを見つける。『蒼頡たちの宴』(武田雅哉、1994年、筑摩書房)は、サントリー学芸賞の受賞作で、1998年にちくま学芸文庫にも入っているようです。また面白そうな本を手に入れてしまった。ぱらぱらページをめくっていると、前漢の思想書「淮南子」には、早くも以下のようなことが書かれてあるそうで、フェイクが蔓延るSNS全盛の現代の様相を評しているみたいだ(孫引き失礼!)。

蒼頡が初めて文字を作ると、それによって百官を区別して治め、万事を管理した。愚者はこれによってもの忘れに備え、智者はこれによって遠大な考えを記すことができた。だが、世の中が衰亡してくると、みだりに偽りの文書を綴るようになり、それによって有罪の者を釈放したり、無辜の者を殺したりしたのである。
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